王侯貴族に愛された「IMARI伊万里」〜そこにあったのは有田職人が砕いた心

重要文化財 色絵花鳥文八角大壺 有田窯 1680-1710年代

東京ミッドタウン サントリー美術館で開催中の「IMARI/伊万里 ヨーロッパの宮殿を飾った日本磁器」では、初公開150点を含む190点の伊万里焼が公開されています。伊万里焼とは、17世紀、佐賀県伊万里港から各国へ輸出された陶磁器のこと。
その頃のヨーロッパでは、中国の窯業都市「景徳鎮(けいとくちん)」で生産される磁器を愛でることが大流行しました。一斉を風靡した「景徳鎮」でしたが、明王朝から清王朝へと政権が変わると内乱が激しくなり、国内で思うように磁器の生産ができなくなっていきます。
そこで目をつけられたのが日本の「有田」でした。1650年をさかいに長崎から活発に輸出されることになります。その量たるや膨大で、輸出が間に合わず国内用に生産していたものがあてがわれるほどでした。

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ドイツ シャルロッテンブルク宮殿「磁器の間」。イギリス、フランス、ドイツ、オランダ、オーストリアなど、現在でも17の宮殿でIMARIが保存されている。

「IMARI」は、その頃栄華をきわめたオランダ 東インド会社興隆の追い風にのり、スープカップやティーカップなど高級実用品のみならず、大壺や花器にいたるまで宮殿や邸宅を彩る絢爛豪華な室内装飾として、また王侯貴族のステータスシンボルとして愛されるようになりました。
貴族たちを魅了したのはなんといっても繊細な絵付け。描かれるその一本一本の線は髪の毛の細さにも匹敵するほど。職人たちはそれまで人気の高かった中国 景徳鎮の図柄をそっくりまね、それに得意とする繊細さを加えることにより独自の作風を作り上げていったのです。
いっぽう、発注者の要望に答えるため、有田職人たちは見たことも触れたこともないようなものを創り上げるために心を砕きました。たとえば、ギリシャ神話に登場する「ケンタウルス」の図柄、お茶を注ぐ蓋つきのポットや、足台のついた花瓶などです。このようにして日本人の細やかな手仕事がヨーロッパの人々の心を捉えていったことは想像にかたくありません。
こうした華やかな時代もやがて終焉をむかえます。オランダ貿易がイギリスのそれに及ばないようになると、東インド会社も衰退の一途に。それとともに「IMARI」の輸出も下火となっていくのです。
あんみつ
焼物好きもそうでない人も、17世紀ヨーロッパを席巻した日本の美術品は必見の価値ありです。ちょっと退屈だなーと思ったら、ささっと見てお隣りのカフェ 加賀麩の「不室屋(ふむろや)」さんであんみつをほおばるのも手かも。
展覧会は2014年3月16日までです。まだまだ寒い日が続きます。思いっきり外で遊べないときは、こんなふうに美術館をゆっくりまわるのもこの季節ならでは。ぜひお出かけになってみてください。
参考:「IMARI/伊万里 ヨーロッパの宮殿を飾った日本磁器」 HP
photo by : サントリー美術館HP、東京ミッドタウン「六本木未来会議」

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